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浦和地方裁判所 昭和32年(タ)25号 判決

本訴原告(反訴被告) 山城恵美子

本訴被告(反訴原告) 山城アレワ

主文

一、本訴原告と本訴被告とを離婚する。

二、本訴原告を本訴原告と本訴被告との間に生れた子山城エミー求美の監護者と定め、本訴被告を同山城マイクル直樹の監護者と定める。

三、本訴被告は、本訴原告に対し、金五万円およびこれに対する昭和三二年一一月一四日からその支払済に至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

四、本訴原告の金員支払の請求のうちその余の請求を棄却する。

五、訴訟費用はこれを三分し、その二を本訴原告の負担、その一を本訴被告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

本訴原告(反訴被告)は、本訴として、「本訴原告と本訴被告とを離婚する。本訴原告を本訴原告と本訴被告との間に生れた子山城エミー求美および山城マイクル直樹の親権者と定める。本訴被告は本訴原告に対し金二十万円およびこれに対する昭和三二年一一月一四日からその支払済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は本訴被告の負担とする。」との判決ならびに右金銭支払の請求について仮執行の宣言を求め、反訴について、請求棄却の判決を求めた。

本訴被告(反訴原告)は、本訴について、「請求を棄却する。訴訟費用は本訴原告の負担とする。」との判決を求め、反訴として、「反訴原告と反訴被告とを離婚する。反訴原告を反訴原告と反訴被告との間に生れた子山城エミー求美および山城マイクル直樹の親権者と定める。」との判決を求めた。

第二、本訴請求の原因

一、前提事実

本訴原告(以下本訴反訴を通じ原告という。)と本訴被告(以下本訴反訴を通じ被告という。)は、昭和二六年七月二〇日神戸領事館において結婚し、その届出をした夫婦であつて、原被告間には、昭和二七年三月二三日出生のエミー求美(女)および昭和二八年八月一七日出生のマイクル直樹(男)の二子がある。原告は、山口県柳井市出身の日本人であり、被告は、米国籍を有するハワイ生れの二世であつて、結婚当時から今日まで米国軍人であり、その階級は軍曹である。

二、結婚を継続し難い理由

しかし、原被告間には左のとおり結婚を継続し難い重大な事由があるので、原告は、被告との離婚を求める。その事情を左に分説する。

(イ)  原告は、結婚後被告の勤務地の移るにつれて江田島、ホノルル、柳井、東京などを転々としなければならなかつたが、その結婚生活六年余のうち、被告と同居した期間は前後通算して二年半であり、その余の三年半は別居した。

(ロ)  昭和二九年九月原告はハワイから帰国したが、その前約一年半の間は被告は日本に勤務し、原告はハワイで幼児二人を抱えて生活しなければならなかつた。米政府が軍人家族に支給する家族手当は、被告の度重なる転勤のため原告の許へ届かない期間があつた。その間の原告の苦労は言語に絶するものがあつた。そして、一日千秋の思いで被告からの日本渡航手続を待つているにも拘らず、被告より後に日本に転属になつた軍人の妻が、続々日本に渡航して行くのに原告は置き去りにされたまゝであつた。昭和二九年九月になつてようやく日本へ帰れることになり、原告は、パスポートを入手して渡航の日を鶴首していた。ところが、その時、被告が日本で喧嘩をして二階級降等させられた事件が発生し、そのため原告は米軍から日本渡航中止を命ぜられた。しかも、被告は念入りにも、原告の心情を察するどころか、右事件の新聞記事を原告に送つて来た。原告は、非常な衝撃を受けた。しかもなお、原告は、夫である被告の身を憂慮して、右事件の被害者に許しを求め、穏便に取り計らつてもらい、夫にわざわいのかからぬよう誠意を表明しようとしたところ、被告からこれを差し止められた。原告はハワイで独力で融資を得て帰国したが、以上に述べたような事実から被告に不信の念を抱き、離婚もやむを得ないと思いつゝ帰国したのである。

(ハ)  被告は、非常な飲酒者であつて、ウイスキーがはいると酒乱になり、酒が切れると非常に不機嫌である。酒精中毒的症状にあることは、原告の郷里において被告を知る者のすべてが認めている。前記喧嘩事件も酒乱の一例である。

(ニ)  被告の父親は山口県三田尻出身の人であるが、その性格は狂気じみて粗暴であつた。被告は、この父から遺伝されているもののように、粗暴な性格であり、僅かの出来事に対しても暴れ廻る。ことに原告や子供の何でもない態度や仕草が気に入らないと言つて、茶碗など卓上にある物やあるいは椅子を壁や床に向つて投げつけることは日常見られたことであつた。また、昭和三二年一二月二六日の昼、本件和諧期日の終了後北浦和駅前において、被告は衆人環視の中で原告の連れている二児を暴力をもつて自分の手に収めようとし、泣き叫ぶ二児の眼前で原告に暴行をしたことがあつた。

(ホ)  昭和三二年一〇月一二日原告が子を連れて上京した際、チツキが駅の手違いで原告乗車の列車で運ばれなかつたという理由で、その夜軍人宿舎に帰つてから被告は原告を仰向けにしておいて力一杯原告の顔面を殴りつけ、顔面は腫れ上り、鼻血が出て数日間は黒ずんで腫れが退かなかつたが、さらにその際被告は原告の頭髪を一握り束ねたまゝ根元から引き抜くという狂暴な挙に出たため、無残にも原告の頭部に禿が出来た。思うだにぞつとする残虐な行為である。女中はこれに驚き逃亡し、二児は今だにその恐怖を口にする。米国人はどんなことがあつても、夫が妻に手をかけることはないと言われるが、被告はその例外である。

(ヘ)  原告が公衆の前で被告から侮辱されたこともたびたびである。昭和二九年九月一〇日原告がハワイから羽田に帰着した際、被告は出迎えの人々の中で「何故無断で帰つて来たか。」となじり、指で丸を作つて「金はどうした。」と周囲をはばからぬ大声をあげた。また、原告は昭和三二年七月二〇日原告の父の法事の際被告とともに帰郷したのであるが、その折被告は、親類知人の集つている前で原告に対しパンツが揃つていないと怒鳴り、原告を殴打した。被告が原告を人中で侮辱したのはこれだけにとゞまらない。

(ト)  被告は、原告の人格を無視し、たとえば原告に対しイエスかノーかを言え、原告の意見を言う必要はないと口止めをしたり、また原告の名も呼ぽうとせず、原告を呼ぶのに床やベツトの脚を蹴つたりする。

(チ)  被告は、妻子に対する思いやりがなく、原告と二児は被告を畏怖している。前述のように、被告が原告と二児をハワイに放置して顧みなかつたのは、その最たるものであるが、そのほか例は数え切れない。たゞ一例をあげれば、被告は子供のおやつは一〇時と三時とに決め、これをやかましく言いながらその間に自分は子の眼前で平気で菓子を食べ、子供が欲しがると叱りつけるという有様である。

(リ)  前述のように、原告母子がハワイで苦しい生活をしているにも拘らず、被告はこれを放置し、日本で多額の給料手当を受け、これで茶屋遊びをしていた。

(ヌ)  被告の子供に対する折檻も常軌を逸している。たとえば、子供達の玩具の後片附が悪いと言つて三日位は遊ばせず、自転車の片附が悪いと自転車も動かせぬよう固定してしまう。そのほかすこしでも気に入らぬことがあると、些細なことでも食器や椅子玩具を投げつけて怒鳴る。このため、子供達は、父を恐れて神経質になつていたが、近頃では父の折檻を免れるため嘘をつくことを覚えるようになつた。

(ル)  現在では被告も原告との結婚生活を断念しているが、そればかりでなく、原告とはたゞでは別れぬ、ハワイに強制送還してから捨てゝやるなどの暴言を口にして、本訴に対する報復を意図している。

(ヲ)  被告は、在日米軍の引揚げとゝもに昭和三三年五月ないし七月頃には日本を去る予定であるが、ハワイでは頼るべき親類は皆無に近い。

(ワ)  原告は、今日までつねに被告に対して従順な妻として努めて来た。風俗習慣の相違に基く失敗を除いては、被告から責められるべき非行はなかつた。

以上の諸事情が今日まで継続し、累積した結果、原告はもはや結婚生活の基本である愛情と尊敬を喪失し、恐怖と子の将来に対する憂慮とのみが残されるに至つた。すなわち、原告は、もはやとうてい被告との結婚生活に堪えられないのである。

三、慰藉料の請求について

右に離婚を求める理由として詳述したとおり、原告は、精神的にはもちろん、肉体的にも被告から常軌を逸した虐待を受け、さらに被告のために性格的異常を来した二児の将来の成長を危惧させられるに至り、女性として最大の不幸である。離婚を決意するに至つたその精神的苦痛は甚大である。よつて原告は、被告に対しその慰藉料を請求し得べきであるが、慰藉料額の算定については、左の事情を斟酌されたい。

(イ)  原告の生家は、柳井市の有名な大料亭であり、宏大な土地家屋を有していた。原告は、県立柳井高女を昭和一五年に卒業し、一年間和裁を、さらに三年間洋裁を学び、広島高等洋裁女学院専門部を卒業した。そのほか華道茶道を修得した才媛である。そして、原告は、昭和二一年一一月前夫津田哲郎と結婚した。津田は東京帝大を卒業し、名古屋帝大理学部研究室にあつて同帝大および第八高校の講師であつたが、不幸腸結核にかゝり、このため昭和二二年八月協議離婚をした。そして原告は、昭和二四年一月から柳井市において公認の洋裁学校を経営して来たところ、被告からの求婚があつたので昭和二六年七月右学校を退き、被告との結婚生活にはいつたのである。

(ロ)  一方、被告は、山口県三田尻出身者を父とするハワイ生れの二世であつて米国市民権を有し、ホノルルのハイスクール在学中に入隊し、入隊中に検定試験により同校の卒業資格を得た。現在米国陸軍軍曹であり、月給一五六ドルを支給されている。

(ハ)  前述のとおり、被告の原告に対する腕力行使の状況は狂暴というべきであつて、頭髪を束ねてむしり取られた原告の頭頂部は禿となつて、その跡をとゞめている。

右のような諸点を斟酌すれば慰藉料額は金二〇万円が相当であつて、原告は被告に対し、この金二〇万円およびこれに対する本訴々状送達の日の翌日である昭和三二年一一月一四日からその支払済に至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

第三、本訴請求原因に対する答弁

一の事実(前提事実)は、認める。

二の(イ)の事実は、認める。たゞし、別居の期間が長かつたのは、被告の意志によるのではない。すなわち、被告が軍人として転勤を命ぜられた時期が被告が子を出産した直後あるいは姙娠中に当つたので原告を同伴できなかつたのであり、また原告は、郷里柳井市で暮すことを望み、被告の任地に来ようとせず、むしろ原告自身の意志により別居の状態にあつた時期が多かつた。

(ロ)の事実のうち、原告が昭和二九年九月にハワイから日本に帰来したこと、その前一年半余の間は被告は日本に勤務し、原告はハワイで二児とともに生活したこと、また右昭和二九年九月に被告が日本で喧嘩するという事件が起き、このため階級を下げられたこと、被告が右事件の新聞記事を原告に送つたこと、原告が事件の被害者宛に手紙を出そうとしたが、被告がこれを差止めたことは認めるが、その余の事実は否認する。

(ハ)の事実は、否認する。被告の健康状態を観察すれば、被告が酒精中毒でないことは明白である。

(ニ)の事実のうち、被告の父親が三田尻の出身であることは認めるが、その余の事実は否認する。被告は声が大きいので乱暴されたように感ずるかも知れないが、物を投げつけたことはない。

(ホ)、(ヘ)、(ト)の事実は、否認する。

(チ)および(ヌ)の事実も、否認する。たゞ子供の育て方については、原告は甘やかして育てる傾向があるのに対し、被告は米国式に厳格に育てることを欲し、この点に関して争いが絶えなかつた。被告が子供を厳格に扱うのも、もとより子供の将来を思う親心に出るのであつて、このため子供が被告を恐れているということはない。現に昭和三二年十月に原告は二児を連れて柳井から帰京したが、子供は、出迎えた被告を懐しがつて飛付いたほどである。

(リ)の事実は、否認する。原告と二児は、ハワイでは被告の実家で暮していたが、被告の実家は非常に裕福ではないが、中流の暮しをしており、「言語に絶した苦しい生活」とは言い得ない。また、被告は、日本の勤務において職務の性質上時に料亭に出入することも止むを得ない場合があつたが、そこで会談した人々はいずれも信頼し得る人々であつた。

(ル)の事実のうち、被告が原告との結婚生活を断念していることは認めるが、その余の事実は否認する。たゞ、原告は結婚当時にはきわめて貧しく、結婚により生活も向上したのになんら感謝の念がなく、米国には絶対に行かないと主張するので、被告が「原告は米軍の給与で生活しているのであるから、米軍から何時でも原告に対し米国へ行くべしとの命令を出してもらえる。」と言つたことはある。

(ヲ)の事実も、否認する。被告が昭和三三年五月ないし七月に日本を去ることは未定である。またハワイには、母、妹、異父兄があり中流の生活をしている。

(ワ)の事実も、否認する。原告は、被告の米国軍人としての立場を考えず、みづから教養が高いととりすましているにもかゝわらず全然英語を勉強せず、英語の会話は未だにできず、被告が一方的に日本語で話合わねばならず、いきおい相互諒解に完きを得なかつた。

三の事実のうち、被告が原告に対し精神的苦痛を与えたことは、右答弁のとおり、否認する。また、(イ)の事実は不知。(ロ)の事実は認める。(ハ)の事実は否認する。

なお、かりに被告に慰藉料支払義務があるとすれば、その金額を定めるについては、被告は結婚いらい原告が郷里柳井で加入している頼母子講の掛金を支出して来た事実を斟酌されたい。

第四、反訴請求の原因

原告と被告が夫婦であることは、さきに原告の主張に対し答弁したとおりである。しかしながら、被告にも、左のとおり、原告に対し離婚を求め得る理由がある。

一、原告が悪意で被告を遺棄した事実

さきに答弁したとおり、昭和二九年九月に原告はハワイから日本へ帰来したが、その後は原被告の間には必ずしも円満ではない日がつゞいた。昭和三〇年中は、原告と二児は柳井市に住み、被告は東京で勤務していた。昭和三一年三月になつて原告と二児は上京し、その後、三、四回帰郷したこともあつたが、被告とともに東京で生活した。翌三二年八月被告の父の葬式のために、被告は原告および二児と山口県三田尻に赴いたが、その帰途原告は郷里の柳井に寄りたいというので、九月五日原告と二児を柳井に残して帰京した。ところが、帰京して見ると、さきに三田尻へ赴く時に原告が原被告と二児のパスポート、二児の出生証明書、予防注射済証明書などの出入国に必要な書類をすべて持出していることが判明した。しかも原告は、柳井に残つたまゝ一向に帰京しようとせず、また大切な書類を持出しているので、被告はしきりに帰京を促し、ようやく一〇月一三日になつて原告は二児とともに帰京したが、その時に原告は書類は小荷物として送つたから手許にないと称し、被告はついに書類を返してもらうことができなかつた。そして、翌一四日被告の不在中に原告は二児を連れて家を出たのである。そこで被告は原告の居所を探すため新聞に二度も公告するなど、あらゆる努力をしたが空しかつた。そこで同年一一月五日には柳井市に赴き原告の兄に面会し、原告の居所を尋ねたのであるが、同人は原告の居所を知つているが、被告には知らせる訳にはゆかないと言い、被告は空しく帰京するほかはなく、このような音信不通の状態がつゞいたまゝ本訴に至つたのである。

ところで、(イ)原告は右のように三田尻から上京するに当つて身内の二宮某という男とともに来り、同人は東京にいて原告の家出を助けた事実が判明した。(ロ)また原告は、被告不知の間に同一〇月二四日米軍司令部に宛て原被告の住居である米軍住宅を出る旨を届けているが、この場合には、規則によつて被告も同住宅を去らなければならないことになつており、また原告は、米軍人の妻として毎月夫たる被告から六〇ドル米政府から九六ドル計一五六ドルの手当を受け得ることになるが、被告の月給は二五〇ドルであるから被告にとつて非常な負担となることは明らかであつて、原告の行為は被告に対しなんらの愛情のない冷酷な行為といわなければならない。以上に述べた(イ)および(ロ)の事実から推察すれば、原告はまさに計画的に家出したことが明らかであつて、すなわち原告は悪意で被告を遺棄したものというべきである。

二、結婚を継続し難い重大な事由

被告は、米国人であるから、日本での勤務が終ればやがて米国に帰つて生活しなければならない。ところが、原告は今後決して米国には行かないと明言しており、原告がこのような態度を執る以上、被告としても結婚の継続を断念するほかはない。

第五、反訴請求原因に対する答弁

反訴請求原因一の事実のうち、原告が被告主張の期間被告と同居していない事実は認めるが、その余の事実は否認する。昭和一二年一〇月一三日に原告が家出をしたのは、本訴請求原因として述べたとおり、その前日に被告から乱暴な傷害行為を受けたため、無力な女性として他に護身の方法がなかつたので、やむを得ず家出をし、かつその間被告の反省を期待していたのであるが、被告はかえつて柳井の原告実家に対して脅迫的言辞を繰返すばかりであつたので、ついに本訴に及んだものである。

二の事実は認める。

第六、子の監護者の決定についての当事者双方の主張

一、原告の主張

(イ)  まず、親権者たるべき人格について言えば、被告は発揚性の精神病質者であり、人格的欠陥を有するから、二児の親権者たる資格がない。前述のように、二児は被告を恐れ、言いたいことも言い得ないのである。一生のもつとも大切な人格形成期にある四歳と五歳の二児にとつて、何者にもまして今こそ温い愛情と、のびのびと子供らしく過ごし得る環境が必要であり、それにはやさしい母の愛情が必要である。二児が原告を慕つている心情には切なるものがある。

(ロ)  また経済能力について言えば、原告はもともと高度の洋裁技術を有し、結婚前には柳井でその学校を開いていた。そして、現在柳井で洋裁店を開くよう準備中であるが、従来の経験に照らし一ケ月三萬円程度の収入は可能である。また、原告の兄は柳井で水道工事請負業を経営し、その月収は約五萬円であつて、この兄のほかに原告の母と妹も全面的援助を約してくれている。そして、母兄妹は、たとえ一人でも子を被告に養育させることには、子が可哀相であるとして絶対に反対している。他方、被告は、現在でこそ軍人の給与をドルで受け、為替相場のゆえに日本では比較的恵まれているけれども、ハワイに帰ると物価高と為替相場の関係で現在の給与のまゝでも生活は苦しいが、まして被告は軍人を辞めたい考えである。辞めた時に被告が一市民として有する職業は、従来ペンキ塗の助手であつた。このように、経済的能力においても被告が原告より優れているとは言い得ないのであつて、かえつて薄情な親類に取り巻かれているだけ原告より劣弱な地位にある。

(ハ)  また、被告はいかに血を分けた父親であつても、軍務に追われる身であるから、四歳と五歳の幼児の養育は重荷である。

(ニ)  また、ハワイにおける被告の身内の状況も、二児の成長に不適当である。すなわち、被告の母は他家に女中として住込んでいて子の養育に当ることはできないし、被告の妹は薄情であり、被告の異母兄は好い人であるが、子が六人もあり、自動車工であつて生活の余裕がなく、異母兄の妻は被告と仲が悪く、異母兄の子は節度のない人間であるといつた次第であつて、子の養育の環境として不適当である。

(ホ)  また、二児の社会的活躍の場としてのハワイと日本との比較であるが、日本は生存競争が激しいということがかりに言い得るとしても、就職して社会的活動をするのは、子供達が成人した暁のことである。その生長までの過程において被告の下では子の人格の円満な発達が期待できないならば、これを迎える社会環境がどうあらうと意味をなさないであろう。したがつて、まず大切なことは、子の人格的生長にとつて原被告のいずれが親権者となることが適切かということである。また原告としても、二児の米国籍は現在のまゝとし、子が生長の暁米国で活曜することを希望するならば、それが可能である余地を残しておく考えである。

(ヘ)  また、原告は二度も結婚に失散し、もはや再婚の意志はまつたく放棄しており、石にかじりついても子の養育を立派になし遂げたい一念である。他方、被告は、まだ三一歳の壮年男子であり、再婚をしないではとうてい済まされないに相違ない。その場合継母に日常養育されねばならない子は、まことにみじめである。

(ト)  また、二児とも物心ついてから育つた場所は日本であり、原告の郷里柳井にいる祖母、伯父、叔母などによくなついており、母を慕つているから、原告が親権者となり、二児と柳井に住むことがもつとも二児の心理に自然てある。ハワイにいた頃は、まだ物心つかぬ頃のことであり、被告の親類には親切にされていなかつた事情もあるから、被告が親権者になることは、二児の心理に断層を生じさせることになろう。また二児は仲が良く、二児を離れさすことは、その幸福のため避けなければならない。

(チ)  また、米国には、人種的偏見が残存し、日本人二世に対しても例外ではない。

以上に詳述した諸点から、二児ともにその親権者は原告が適当である。

二、被告の主張

(イ)  原告は、二児は被告を恐れていると主張するが、しかし、二児は父親に対して親近感を有している。二児は、父親から厳格なしつけを受けるとしても、後日これを感謝するに至るであろう。

(ロ)  二児を育てる資力においても、被告の方がすぐれており、そのうえ、ハワイの妹から二児を引受けて養育する旨の承諾を得ている。

(ハ)  原告の郷里柳井は二児の成長にとつて不適当である。すなわち、原告の妹は料亭の仲居をしており、現在原告の住んでいる家は、この妹の旦那に買つて貰つたもので、子供の教育上良い環境ではない。また、原告は、原告の兄の援助を期待し得るというが、同人は一年ほど前までは経済的にきわめて窮迫した状態にあつたものであり、現在経済的にやゝ順調らしく見えるが、これが永続きするか否かは覚束ない。

(ニ)  また原告は、今後洋裁を仕事として月収約三萬円は期待し得るというが、これは困難である。仮りに現在はその程度の収入があるとしても、二児が生長してゆく将来のことを考えると寒心に堪えない。

(ホ)  二児は米国で出生し、米国市民権を取得しているから米国において教育を受けさせ、もつて生長したのち広々とした米国において活躍の機会を与えることが、二児の将来のため幸福である。原告は法廷での尋問に対し在米の日本人の発展には限界があると述べたが、これは原告の狭い視野からの判断であり、今や二世は各方面で白人と同等またはこれをしのぐ地位を獲得しつゝある。将来二児が物心ついて米国に行きたくなつた時には渡米させようとの原告主張は、いうべくして行われ難いことである。せつかく米国籍ある二児には幼児から英語を話す訓練を米国において与えるべきである。

(ヘ)  また、原告を親権者とするためには、二児が日本に帰化することが前提となるが、帰化には被告の同意が必要であり、被告としてこの同意は与えない意志であるから、二児は米国籍にとゞまらなければならないが、これは日本で学校教育を受けることにも大きな支障となるであろう。

(ト)  また、米国では、各州ごとに衛生局内に児童福祉部なる役所があつて、片親の下で生活する子供について、生活状態をつねに監視し、また定期的に査察して、子供の保護をはかつている。

以上に述べた諸点から見て、二児の将来の幸福ということを考えれば、被告を親権者と定め、これに監護を委ねることが適当である。現在二児が母親を慕う有様に心をひかれて、これに養育をまかすことは、所詮宋襄の仁と称すべきである。

第七、証拠

原告は、甲第一ないし三号証、第四号証の一ないし六、第五号証第六号証の一および二、第七および八号証、検甲第一号証を提出し、証人田村二三子の証言、原告山城恵美子(第一、二回)および被告山城アレワの各本人尋問の結果を援用し、乙第四ないし九号証、同第一〇号証の各成立を認め、その余の乙号各証の成立は不知と述べた。

被告は、乙第一ないし一二号証を提出し、証人横山聖子の証言および被告山城アレワ本人尋問の結果を援用し、甲第七号証の成立および検甲第一号証の撮影時期は不知と述べ、その余の甲号各証の成立および検甲一号証が原告を撮影したものであることを認めた。

理由

第一、離婚の準拠法について

法例第一六条によれば「離婚ハ其原因タル事実ノ発生シタル時ニ於ケル夫ノ本国法ニ依ル。」とされているが、本訴被告(反訴原告。以下、被告と呼ぶ。)は米国人であり、米国は各州により法律を異にするから、法例第二七条第三項により被告の属するハワイ州法に依るべきことになる。ところが米国々際私法(判例法)によれば、離婚は夫婦の双方または一方が住所(domicile。英米法上ドミサイルとは、人が一定した住居を置きそこを離れても帰来する意思を持つている場所であつて、わが民法にいう住所と意義を異にする。以下、英米法のドミサイルの意義において住所という語を用いる。)を有する地の法律によるべきものとされており、ハワイ州の判例も例外ではない。そして、夫婦の双方または一方が何処に住所を有するかは、米国々際私法に従つてこれを決定すべきである。ところで、被告は、ハワイのホノルルに生れ、同市に家庭を持つ父母のもとで生活していたが、軍務のため来日し、軍務が終れば同市に帰還する意思を有する者であるから、被告の住所は同市にあると見るべきである。また本訴原告(反訴被告。以下原告と呼ぶ)の住所について考えると、米国々際私法上妻の住所は夫のそれと同一であるのを原則とするが、妻が離婚を求めるときは、妻は任意の場所に夫と別の住所を保有することができるものとされているから(もとより妻が夫に対する遺棄罪に該当しないことを要するが、本件において原告が被告を悪意で遺棄したものでないこと後述のとおりである。)、原告の住所は日本(現在は山口県柳井市)にあると見ることができる。したがつて、結局、本件離婚は、妻である原告の住所地法すなわち日本民法によつても(夫の住所地法であるハワイ法も準拠法たり得るが、これと別に)、これを律することができることになる。そこで、以下、原被告の主張がわが民法所定の離婚原因に該当するかどうかを考察する(なお、米国々際私法における離婚の準拠法および住所の決定については、American Law Institute, Restatement of conflict of laws を、離婚原因を有する妻の住所については、H.F. Goodrich, Handbook of The conflict of laws, 3rd ed, 1949, p.79.を軍人の住所についてはGoodrich, ibd,p.69.をそれぞれ参照した。)

第二、離婚の請求について

原告山城恵美子(第一、二回)および被告山城アレワ各本人尋問の結果、ならびにいずれも公文書であるからとくに反証のない本件では真正に成立したものと認める甲第八号証(原告の戸籍謄本)、乙第四ないし六号証(被告および二児の各出生証明書)を総合すれば、原告は山口県柳井市出身の日本人であり、被告はハワイのホノルル市出身の日本人二世であつて(現在の職業は軍人、二等特技下士官)、両名は、被告が軍人として来日中昭和二六年七月二〇日に結婚したこと、その後被告の勤務地の移るにつれて、両名は江田島、ホノルル、米国北カロライナ州、ホノルル、東京を転々としたが、その間ホノルルにおいて昭和二七年三月二三日にエミー求美が、昭和二八年八月一七日マイクル直樹が出生し、二児はともに米国市民権を有すること、また原被告両名の間は結婚当初からまつたく円満とは言い得なかつたが、ことに昭和三二年八月ごろから両名は事実上別居の状態にあつて、現在では原告は離婚を希望して譲らず、被告は原告が態度を改めないかぎり離婚もやむを得ないとの気持であることが認められる。

そこで、両名の間がどうしてこのように破綻するに至つたかの事情を考察すると、原告(第一、二回)および被告各本人尋問の結果ならびに証人田村二三子および同横山聖子の各証言を総合すれば、次のような事情が認められる。

すなわち、原告は昭和二一年に前の夫津田哲郎と結婚したが、同人が罹病したため翌年協議のうえ離婚し、その後郷里柳井で洋裁をして暮しているうちに被告と知合い、被告から求婚され、原告の身内の者は妹一人を除いて反対であつたが、原告は求婚に応じた。ところが、この結婚はたがいに相手の性格についての充分な理解を欠いた結婚であつて、結婚後、原告は元気よく活発な被告を粗暴な、やさしさを知らない夫と見、被告は原告を自尊心の強い、非協力的な妻と考えた。ことに昭和二八年四月から翌年九月までの約一年半の間、被告は単身日本で軍務に従い、原告は幼い二児を抱えてホノルルで生活したが、ホノルルにいる被告の親族は原告に充分に親切でなく、しかも日本から被告は原告に対して充分にいたわりの情を示してやらなかつたゝめに、右期間の異郷での生活は原告の心を傷つけた。もつとも被告として、この期間は軍の規則上家族宿舎の入手が困難であつたゝめに原告と二児を日本に迎えることができなかつたという事情も存したが、被告は、軍務が終り次第ホノルルに帰るものであるから、原告および二児をホノルルに止めて置くことを欲し、日本へ帰ることを望まなかつたという事情もあつた(なお、原告は、この期間被告は日本で茶屋遊びをしていたと主張する。被告本人尋問の結果によれば、被告はその職務上料亭の宴席に出入りしたことがあると認められるが、いわゆる芸者遊びをしたことを認めるべき証拠はない。)

ところで、原告は、ホノルルでの生活に堪えかね、昭和二九年九月に日本へ帰来し、以後、昭和三一年三月まで二児と郷里柳井に住み(この間被告は東京に住み、時々柳井へ出かけた。)、つゞいて同年一〇月まで東京都内戸塚に、ついで昭和三二年八月まで同都内練馬区グランド・ハイツに被告と同居した。そして、この間、前に述べた夫婦間の溝はだんだんと深くなつた。原告は、声が荒々しく、些細なことにも怒る被告の粗暴な性格と態度を嫌悪するに至り、被告は、こうして愛情を失つて来た原告を自分だけを高しとする不親切な妻と考えるようになつた。ことに二児のしつけ方について、夫婦の間に強い対立が見られ、原告は日本的にやさしく育てようとするのに対し、被告は米国人流に厳格にしつける態度を執り、この子供のしつけ方についての相違が二人の不和をさらに助長した。

このようにして暮しているうちに、昭和三二年八月に山口県三田尻で被告の父親が死亡し、原被告と二児はその葬儀に赴いたが、その際、原告は、原被告および二児のパスポート、予防注射済証などの書類を持出した。そして、原告は葬儀の帰途、郷里柳井に立寄つたまゝ一向に帰京しようとしないで、被告がしきりに帰京を促した結果、一〇月一二日に原告は二児と上京した。着京した際被告は原告に対し持出した書類の所在を問うたところ、原告は鉄道小荷物に託したと答えたので、被告は重要な書類があるのにその取扱が軽卒であると怒り、その夜、グランド・ハイツの自宅で原告を殴打し、頭髪を引張つたゝめ、原告は鼻血を出し、頭頂部の毛髪が抜けるという事件が生じた。そして、原告は、被告の態度を恐れ、翌一三日に被告の不在中、二児を連れて家を去り、同年一一月の本訴提起に至つた。そして現在では、原告はもちろん被告とともに帰米する意志はなく被告は、原告が従来の態度を改めない以上離婚もやむを得ないとの気持にある。

前掲諸証拠によれば、大要以上のような事情が認められる。そして、右の経過をたどつて原被告は結婚後六年余にして今日の悲境を見るに至つたのであるが、このようにたがいに愛情を失うに至つたことについての責任を考えると、それは当事者双方にあると見なければならない。すなわち、原告についていえば、いかにハワイにおける被告親族の生活状況が当初の夢を裏切るものであり、また被告の性格が粗暴であるとしても、被告には社会人としてとくに欠陥がないのであるから、今少し堪え忍び、協力的態度に出るべきであつたし、被告もまた自分の粗暴な性格と態度を反省し、妻の繊細な感情を理解するための努力を払うべきであつたと見られるのである。そうであるとすれば、被告に対し全然愛情を失うに至つた原告に対してその心をひるがえし、被告と帰米することを命ずることはできないし、また被告がハワイに帰つて生活すべき者である以上、原告が態度を改めてともに帰米しないかぎり離婚を求める被告の要求も是認するほかはないのである。すなわち、原被告間には、たがいに相手に対し、わが民法第七七〇条第一項第五号が離婚原因の一つとして定める「婚姻を継続し難い重大な事由がある。」といわなければならない。よつて離婚に関する本訴請求および民法の右条項号に基づく反訴請求はともにこれを認容すべきである。

なお、前に認定した原被告の行為は、それぞれ、ハワイ法所定の離婚原因のうち、「婚姻当事者の一方が、故意に、計画的に、片意地にまたは熟慮のうえのいずれかであるか否かを問わず、六〇日以上にわたつて他方に悲惨な精神的苦痛を与え、よつて他方の生活を重苦しくかつ堪え難きものとし、共同生活を忍び難くした場合」にも該当することを付記する。

なおまた被告は、離婚原因として、原告が悪意で被告を遺棄したことをも主張している。なるほど、前に認定したように昭和三二年八月三田尻に赴く際に原告がパスポートなどの書類を持出したこと、その後被告のたびたびの催促にもかゝわらず柳井にとゞまり、ようやく一〇月一二日に上京したが、翌一三日には家を去つたことは明らかである。しかし右パスポートなどの書類を持出したことが確定的に被告の許を去る意志に基づくものか、また一〇月一二日上京したのは被告との共同生活に戻つたのではなく、たゞ家へ荷物を取りに来る意志に過ぎなかつたのかの点について、これを肯認するに足りる充分な証拠はなく、結局、被告を遺棄したとの事実を認めることはできない。

第三、二児の監護者の決定について

そこで、原被告間に生れた米国々籍のエミー求美(昭和二七年三月二三日生)およびマイクル直樹(昭和二八年八月一七日生)の監護者の決定について考えよう。

ところで、この問題については、米国々際私法(州際私法)上、「離婚その他の両親の法律的離別に際しては、子の住所(domicile)のある州の裁判所が、その子の監護権者を指定する。」(American Law Institute, Restatement of conflict of laws, §146. )との原則があり、したがつて、本件についても、二児の住所が日本に存しないとすれば、当裁判所は監護者を指定し得ないのではないか(指定したとしてもその効力は米国においては否認されるのではないか)の疑問が存在するのである(もつとも、この場合にも仮の保護者を任命することはできる。Restatement, §150)。

そして、米国々際私法上未成年者の住所は親の住所に、妻の住所は夫のそれに従うものとされ、そして前記のとおり本件被告の住所がホノルルに存すると認められるから、二児の住所もまた同市に存すると認めるべきである。もつとも米国々際私法上共同監護権を有する両親が別個の住所を有する場合は、子の住所は共に住む親の住所に従うものとされ(Restatement,§32. )、また前記のとおり現在では原告の住所は日本にあると見るべきであつて、現在エミー求美は原告と共に生活していることが認められる。しかし、原告がエミーとの現在の共同生活を始めたのは本年二月以来のことであり、しかも被告もまた充分に監護の意志を有し、現在本訴において監護者の決定の問題が審理されている最中なのであるから、原告がエミーを手許に置くに至つた時をもつてエミーは父の住所と同一のホノルルの住所を失い、母と同じ住所を有するに至つたものと見ることはできないのである。かくして、米国々際私法上の前記原則に従うならば、当裁判所は、二児の監護者を指定し得ないかに見える。

しかしながら、米国判例上他方の見解として、子の住所がその州内に存しない場合でも「裁判所は、被告に対し人的管轄権(jurisdiction in personam)を有するときは、監護権を与える権能を有する。」とされ(American Jurisprudence, vol.17a, 1957, p.9)、当裁判所もまた米国々際私法を適用するについてこの見解を採用したい。そして、英米法上「人的管轄権」とは当事者の自発的な出廷によつて裁判所が持つに至つた特定事件についての管轄権をいうとされ(有斐閣、英米法辞典二五五頁)、当裁判所は本件両当事者に対して人的管轄権を有するから、二児の監護者の指定についても、その権限を持つと考える次第である。

つぎに、監護者の決定の準拠法について一言すると、これは、離婚のいわゆる直接的効果としてわが法例第一六条本文によつて定まる離婚の準拠法に従うべきであり、そして、前述のとおり本件離婚の準拠法はわが民法であるから、監護者の決定についてもまたわが民法に拠るべきである。ところで、わが民法第七六六条第一項、第七七一条により子の監護者の決定は裁判所の裁量に委ねられているから、結局子の現在および将来の福祉を考慮して決定すべきである(なお、ハワイ法の規定もまた離婚の際の子の監護者の決定を裁判所の裁量に委ねていることを付記する)。

そこで、この見地から本件を考えると、現在エミー求美は原告(母親)の許にあり、マイケル直樹は被告(父親親)の許にあることは本訴訟上顕著であるが、当裁判所は、現在の状況のとおり、原告をエミー求美の監護者と定め、被告をマイケル直樹の監護者と定めることが適当と考える。もとより両児とも米国籍を有する姉と弟である以上、ハワイにおいてともに生活するのが理想であり、また被告本人尋問の結果により被告も両児に対して強い愛情を抱いていることは充分に認めることができる。しかし、原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、ホノルルにおける被告の親族の生活も余裕あるものとは認められず、また被告本人尋問の結果によれば、被告も除隊後は早速職を見つけて働かなければならない立場にあり、経済的に余裕のある者ではない。このような被告には、二児ともの養育、とくに姉のエミー求美の養育はなかなか重荷と判断される。他方、原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、郷里柳井の原告親族の生活は中流であり、原告は元来洋裁の技能を有し、今後洋裁により生計を立てることができると認められるが、将来のことを考えると、二児ともの養育はやゝ負担が重いであろう。また、本判決における監護者の決定は、最終的なものでなく、将来事情が変化して子の幸福のために必要があれば、これを変更することも可能である。以上のような諸事情を考慮して、当裁判所は前記のとおり監護者を指定するのが相当と考えるものである。

なお、原告は、被告は精神病質者あるいは酒精中毒者であると主張し、また原被告はたがいにホノルルと柳井が子の養育上不適当な環境であると主張するが、これらの主張事実を認めるに足りる証拠はない。また被告は、子が日本に帰化するには被告の同意が必要であると主張するが、エミー求美の帰化については、監護者たる原告が法定代理人としてこれを申請することができる(国籍法第一一条、法例第二三条第一項参照)。その他原被告が監護者の決定に関して主張する事情は、いずれも決定的なものではない。

第四、慰藉料の請求について

原告は、結婚中に被告から常軌を逸した精神上肉体上の虐待を受け、また二児は被告のために性格異常を来し、その将来の成長を危惧させられるに至り、よつてやむを得ず離婚を決意したのであるがこれに至るまでの被告の行動により多大の精神的苦痛を受けたと主張する。

しかし、後述の暴行々為を除いて、原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。すなわち、まず、原告が二児を抱えてハワイで約一年半の別居生活を余儀なくされたことは、前記認定のとおりであるが、被告本人尋問の結果によれば、当時被告は軍の規則上日本で家族宿舎を入手することが困難であつた事情がうかゞわれ、またその間原告に対する音信や扶養を怠つたことも認められないのであつて、たしかに被告の原告に対するいたわりが充分でなかつたことは認められるとしても、夫婦の長い共同生活の一過程として原告にはなお堪えるべき余地があつたと見られるのである。すなわち、被告が原告をハワイに別居させたことをもつて法律上許された範囲を越えた精神上の苦痛を与えたものと見ることはできない。

また、その後の日本における生活について見ると、原告本人尋問(第一、二回)の結果および証人田村二三子の証言によれば、被告には公衆の前で原告を叱りつけ、あるいは日常原告を侮蔑的言葉で呼ぶなどの点があると認められるが、これが被告の生来の性質に基づく行為であるとは認められないのである。すなわち、被告本人尋問の結果によれば、被告の言動には人並以上の粗野な点がうかがわれるが、他に家庭人、社会人としてとくに欠陥があるとは見られず、原告に対する右のような行為も、結局、原被告間の不和に基づくものと認められるのであつて、両者間の不和については、前記認定のとおり原告もまたその責任の一半を負うべきものである以上、被告の右行為のみ取上げて不法行為とすることはできない。

また、原告本人尋問(第一、二回)の結果および証人横山聖子の証言によれば、二児にはいじけた点あることが認められるが、性格異常を来し、あるいは将来の成長に危惧を抱くべき点があると認めるべき証拠はない。

しかし、原告本人尋問(第一、二回)の結果および検甲第一号証(これは原告本人第一回尋問の結果により昭和三二年一〇年一二日から約一ケ月後に撮影した原告頭部の写真であることが明らかである。)によれば、被告は右一〇月一二日夜東京練馬区のグランド・ハイツの自宅で原告の顔面を殴打し、頭髪を引つぱるという暴行を加えたゝめ、原告は鼻血を出し、また頭頂部の毛髪が抜けた事実が認められる。被告本人の供述のうち、これに反する部分は信用することができない。もつとも、被告本人の供述によれば、原告が被告不知の間に原被告と二児のパスポート、二児の注射済証明書などの重要な書類を持出し、しかも東京へ持帰る際には手許に持たずに鉄道便で送るという軽卒な取扱をしたため、被告はこれに立腹して右のような暴行に及んだものと認められ、その動機には酌むべきものがある。しかし、暴行の程度は、夫婦間の条理を越えたものと判断されるのであつて、原告は、わが法例第一一条第一項および民法第七一〇条により、被告に対し、右行為によつて受けた精神上の損害の賠償を求め得べきである。そして、右述の暴行々為の状況と程度、被告の行為の動機、被告は米国陸軍下士官であつて月額二五〇ドルの給与を受けていること(なお、被告の階級については当事者間に争がなく、給与の額は被告の自陳するところでこれを疑うべき証拠はない。)原告は柳井市において中流の生活を営む者であること(原告第一回尋問の結果により明らかである。)などの諸点を総合して考えると、金五万円が相当と認められるから、原告の慰藉料の請求は,金五万円の限度において正当としてこれを認容し、その余は失当としてこれを棄却すべきである。

なお、被告は、慰藉料額の算定については、原告が加入している頼母子講の掛金を被告が支出して来た事実を斟酌されたいと主張する。原告(第二回)および被告各本人尋問の結果によれば、原告は柳井で頼母子講に加入している事実が認められる。しかし、原告が払つた掛金のうち被告が妻に対する贈与としてどれほど援助したのかの点について、被告本人の供述は適切な証拠とは認め難く、他にこれを明確に知る証拠はない。

第五、結論

以上の次第で、原告の本訴請求のうち被告との離婚を求める請求ならびに被告に対し慰藉料金五万円およびこれに対する本件本訴々状が被告に送達された日の翌日であること記録上明らかな昭和三二年一一月一四日からその支払済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分、民法第七七〇条第一項第五号の理由に基づき原告との離婚を求める被告の反訴請求は、いずれも正当としてこれを認容し、原告本訴慰藉料請求のうちその余の部分は、失当としてこれを棄却すべきであり、また子の監護者の指定については人事訴訟法第一五条第一、三項に、訴訟費用の負担については民事訴訟法第九二条本文に従い、主文のとおり判決する次第である。

なお、主文第三項については、仮執行の宣言は、その必要があるとは認められないので、これを付さない。

(裁判官 西幹殷一 中田四郎 大久保太郎)

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